侘という字は、家の中で人が淋しそうに膝を抱えて座っている形を表しているそうです。茶道は、侘びの世界といわれますが、しょんぼり、淋しい世界ではありません。茶道での侘びは、何かが欠けている様子を表しています。欠けているからこそ、完成を求めて努力する、修行を積むというのが侘びということです。
侘茶を集大成した利休が、これが侘びですよという歌を残しています。「花をのみ待つらん人に 山里の 雪間の草の春を見せばや」。他の茶人が、侘びとは冬の枯れさびてなにもない様子と言っているのとは、大きな違いがあります。
春の花を待っている人たちに、まだ冬で雪の積もる、その下では、さあ、芽を出そうと準備をしとぃる草たちがいます。命が目覚め、芽を出す、そのエネルギー、春を呼ぶ力を侘びと言っています。
炉の季節に床に飾るツバキの花も、今、咲き始める膨らんだ蕾を入れます。
完全なもの、完全な美しさを求める西洋文化とは違って、茶道では完全はないと思ってきる限りの努力を続けるということを良しとします。謙虚ですが、そこには力強いエネルギーが流れています。ちなみに、自身が完成とは思わなくても、実は完成があって、そこから自然に少し落ちたところをサビといいます。錆びとか寂びという字を当てます。名人芸をサビが利いているとほめたりしますね。これも、欠けたる様です。
人をもてなすために、心を尽くし、手間暇かけて、その時できる精いっぱいのことをする亭主、亭主のもてなしを心から楽しみ一緒に素晴らしい時空を作り上げるお客。亭主を陰でサポートする裏方。いずれも、前を向いています。
茶人は、いつもpositive sinkingが基本です。